か め証券コツコツ支店

I've been working as an employee for 9 years, and I'm writing a blog about my daily life. I like to invest blue chip stocks.

【改訂】自己紹介

【はじめに】

⚫︎ID名の由来→名字と名前の頭文字を取り、そこに、ポケモンの「カメックス」要素をミックス。ネット界隈では、亀さんと呼んでいただけると嬉しい。

 

⚫︎理数科の高校→経済学部→病院事務→一般企業 …っと、何の脈絡も一貫性もないオリジナルキャリアを歩む著者による、生きた証を刻むブログ。変化の激しい現代に「こんな生き方の人間もいるのか」と、読者の生きるヒントになればと思う。

 

【属性】

⚫︎住まい→中国地方

⚫︎最終学歴→大学卒業

⚫︎職業→2014年から社会人。総合病院の事務職員として約3年8ヶ月従事。2017年12月より一般企業に転職。

⚫︎保有資格、免許

(学生時代)

・普通自動車免許第1種

・TOEIC 500点台

・独検4級

(社会人)

・漢検2級

・整理収納アドバイザー1級

・整理収納教育士

・時短家事コーディネーターBasic など。

 

現在 平日はメーカーで働かされる傍ら、プライベートでは断捨離に勤しむ女おじさん。アイドル (乃木坂46、欅坂46) と無印良品をこよなく愛し、最近はミニマリストに憧れている。

 

ここから派生してブログ本を出版→印税生活が夢。

 

【生いたち】

⚫︎誕生〜小学校時代

1991年生まれの「ゆとり世代」。世間がバブル崩壊で騒ぐ中、我が家待望 (?) の第一子として誕生。父親は一般企業のサラリーマン、母親は主婦という、ごくごく一般庶民の家庭。この頃から 人見知りしがち、食べ物の好き嫌いが激しい、運動音痴、マイペース、飽きっぽい、ソロ志向、引きこもり体質、変人…といった、今の自分の基本性格の下地が形成される。所謂「メンドクサイ人間」 (笑)。

幼稚園時代は 園内の誰とも話さない位には人見知りが激しかったらしい。

 

1998年 地元の公立小学校に入学。流石に学校では喋り出す (笑)。学校の勉強は そこそこ出来る方で、当時から絵を描くことが好きだった。故に 当時の好きな科目は算数と図工。算数では テストで悪くても80点台…と高得点を取る一方、図工では 彫刻刀でいつも指を怪我するポンコツっぷり。

小学校3年の時 両親に「ベッドで1人で寝たい」と言って両親にベッドを買わせ、自室で1人ベッドで寝始める。5歳年下の妹が1人いるが、この頃から既に「おひとりさま」体質に。

小学校5年の時 担任が古典などの日本文学に精通していたのに影響されて、割とガチで百人一首にハマる。当時 百人一首に関しては、百首全部暗記し、「むすめふさほせ」「坊主めくり」といった、百人一首界隈の遊びも攻略。その他 落語の「寿限無」も覚える。

小学校の修学旅行で広島に行った際、集団行動から外れて迷子になったものの、担任に「迷子じゃないで〜す♩」と適当にはぐらかし、リスク回避した前科あり (笑)。

 

⚫︎中学校時代

2004年 地元の公立中学に進学。当時の地元では マンモス校且つガラの悪い学校で有名だった。(当時 1学年あたりの生徒数は約200人で6クラスあった。) 

勉強では 学校の授業と並行して塾と進研ゼミをやっていた。進研ゼミは溜まる一方で、定期テスト用の予想問題集しか使っていなかったが (笑)、成績は上位10%以内に入ることが多かった。

 

当時の夢は「臨床検査技師」。理由は 当時中学生にして、将来は理系に進んだ方が給料がたくさん貰えて将来安泰だと思っていたから (笑)。

同じ医療系でも 医者や看護師といったイメージがつきやすい職業を敢えて選ばなかった理由は、自分の内向的な性格も踏まえて「縁の下の力持ち」的なイメージのある臨床検査技師の方が、自分に向いてそうだと思ったから。

 

部活は美術部に所属。ポスター作成やデッサンをメインに行った。少人数の部活で、夏休みのポスター作成や文化祭での出展以外に目立った活動は無く、部活自体も緩く活動。中学3年の時は、部長も任された。

 

⚫︎高校時代

2007年 家から一番近く、第一志望であった地元公立高校の理数科に進学。理数科は1クラスしか無かったので、3年間クラス替え無しの環境で過ごした。冬でも風鈴が置いてある位には自由な校風。公立なので校則はかなり緩く、携帯の持ち込みや置き勉も可能だった。地元では 毎年1人は現役で東大合格者が出る位にはトップレベルの進学校だが、高校生になってからの私の成績は悲惨なものとなった。周りのレベルが圧倒的に違いすぎて、入学早々行われたテスト以降、学力面では劣等感しか感じなかった。(同級生の学力が自分より高いのは言うまでもなく、同級生の親が 医者・学校教師・地元の議員 など、所謂エリートが多い。)

また 高校での授業を進めていくにつれて、理系科目の勉強が思うように上手くいかなくなった。特に 物理では、テストで 6点 (100点満点中) を取ったこともあり、中学生時代になりたいと思っていた「臨床検査技師」の夢を諦めることに。高校2年の時 理系に進むことに見切りをつけて、大学で行きたい学部をどこにするかを考えた。幸い数学は好きだったので、文系」×「数学が活かせるの掛け合わせで考えた結果、経済学部への進学が妥当だという、半ば合理的 (?) な結論に至った。また 高校2年生だった2008年当時、リーマンショックが社会問題になったことも影響し「これからの時代は経済を学んだ方が良いだろう。」と思い、我ながら先見の明があるなあと思った。(実際 それから約10年後の2017年現在、政府が国を挙げて投資に力を入れ出した。私自身も、積立だが投資信託を始める良いきっかけとなった。) 

 

入学して程なく、学校が SSH *1 指定校に選ばれた。故に、私の高校時代は SSH 無しでは語れない。

 

⚫︎SSH での思い出

最初に SSH で行った活動は、高校1年の夏休みに飛行機とバスを乗り継ぎ、筑波・東京方面に行ったこと。うろ覚えだが、筑波では筑波大学に行き、大学の講義を受講 (講義内容は、宇宙関連?)。その後 東京に向かい、日本科学未来館に行く。ここでも宇宙関連の事を肌で感じ、お土産売り場を物色し、宇宙食に興味津々となった事をブログを書きながら思い出した (笑)。

 

高校1年の9月以降、SSH の活動が本格化した。高校1年9月〜高校3年夏まで 週1回、高校近くにあった大学工学部に行った。高校1年時は、コンピューター系・半導体・液体窒素・イオン・空間デザイン等…工学部で実際に行われている講義を受講した。これらの講義を受講することで、大学の講義が専門的であることを肌で感じることが出来、その後 入りたい研究室を決定するのに役立てることが出来た。また 講義を受ける前は「工学部=機械系」のイメージがあったが、機械だけでなく、学科によっては 情報・応用化学・建築などの分野の勉強も出来ることを知り、良い意味で工学部のイメージをぶち壊すことが出来た。

 

高校2年〜高校3年夏までは 週1回、前述の工学部にて、配属された研究室での活動を行った。私が配属された研究室は「空間デザイン」の研究室となった。「空間デザイン」の研究室を希望した理由は、絵を描くことが昔から好きなので、そこの興味から派生したのと、工学部なのに唯一 芸術っぽい事をやってるという面白さに惹かれたから。

 

高校2年の前期は、日本の家と世界の家の違いについての講義を聴いたり、建築についての講義を聴いたりした。高校2年の後期は、自分が住みたい家の図面を作成し、模型を作る作業を行った。高校3年時には SSH の集大成として、全校生徒への発表用に作った模型に関する資料作成を行い、地元のホールで全校生徒対象のポスターセッションを行った。その後、SSH は終了した。私自身 高校2年の途中で文転したので、SSH の活動内容が進学に役立つことは無かった。しかし 活動を通して経験したことは、大学時代のゼミのプレゼンなどで役立てることが出来た。

 

SSH により、普通の高校生では体験出来ないことをさせて頂くことが出来たので、私のオリジナルキャリアの築き方は、ここから始まったと言っても過言ではない。

 

⚫︎部活での思い出

高校時代も美術部に所属することになった。高校の美術部は 中学のそれと違い、デッサンを本格的に行った。また 同じ部活の先輩や同級生に、美大や教育学部の美術科を目指す人達がいたので、彼女達の画力の高さに圧倒された。1年時は ひたすら石膏像のデッサンに勤しみつつ、アクリル絵の具を用いた絵画制作にも励む。2年時は 全国レベルのコンクールに向けての絵画に挑むも、私は落選。その代わり (と表現したら失礼かもしれないが)、夏休みの課題だった読書感想画では、入選を果たすことが出来た。…と ここまで文章を書いていたら、さも真面目に部活に取り組んでいたかのようだが、実は 結構おしゃべりが多い部活で、部員もオタク気質の人が多かった (笑)。

 

⚫︎大学時代

2010年 大学に進学。センター試験の結果が芳しくなかったので、最も志望度の低かった福岡県内の某私立大学に、経済学部生として進学。それに伴い 親元を離れ、福岡で1人暮らしを始める。

 

⚫︎学業

学生の本分ゆえ、大学生活の中で一番力を入れたと言っても過言ではない。結論から言うと、在学中の学部成績は常に学年トップ、首席で卒業することが出来た。学業に力を入れた理由は2つある。1つは 高校時代に勉強面で挫折を味わったので、大学でそれを挽回する為。もう1つは 大学の奨学金制度が充実しており、「学術特待生*2 という制度をどうしても利用したかったから。私立に来てしまった為、学費面で親の経済的負担を軽減させる目的で特待生制度の利用に挑んだ。在学中は大学成績の GPA を少しでも高める為に勉学に励んだ結果、学年トップという成果を出し続けることが出来た。

 

⚫︎課外活動

サークルには無所属だった。その代わりに 大学3年時に、学内で女子学生支援組織が発足し「何となく面白そう」という安直な動機でプロジェクトに参加したり、オープンキャンパスの学生スタッフを行ったりした。プロジェクトでは、学内の学食全般 (メニュー、内装 等) を改善するプロジェクトに参加し、他大学の食堂調査をしたりプレゼンを行ったりした。1年目だったので 目に見える成果を出すことは出来なかった。しかし その後は、後輩の頑張りと大学の財力のお陰で (笑)、女子学生向けメニューが多く出たり、食堂の内装が明るい雰囲気に変わったりした。私立大学さまさま。

また オープンキャンパスでは、学生スタッフとして、高校生にキャンパスライフについて語ることもあった。

 

⚫︎就活

大学生活の中で最も苦労した分野且つ、世の中の理不尽に直面し、人間不信に陥った黒歴史満載の分野。結論から言うと 新卒の就活時に内定を貰ったのは、現職の総合病院と福岡県内の総合病院の2つのみ。正規雇用である福岡県内の総合病院に就職したかったが、親の反対により、仕方なく現在の職場に嘱託職員として就職。因みに新卒時代は約50社ほど受けていた。大学3年時にインターンシップに2回行った経験から、当時は一般企業で働くのは不向きだと思っていた。(利益を追求したり、営業職のようにノルマの為に働くのは自分に合わないと感じたから。) 面接で受けた企業は、所謂 一般企業ではなく、特殊法人 (大学、医療機関、日赤、医師会、JA、生協 など) が多かった。書類で落ちた企業もあるが、面接で落ちた企業がほとんど。(思ってもいないのに)「御社が第一志望です」と言い続けることも精神的に辛いが、お祈りメール *3 はもっと辛い。

 

就活当初 (大学3年時) は 教育業界・金融業界・食品業界など、自分の興味のある業界を片っ端から受けていた。案の定 企業からのお祈りメールが続くので、「やっぱり自分は、一般企業で働くのは向いていない。」と思い、大学4年の夏に就活を一旦中断。自己分析を再度行った結果、もう一度 医療系の道に進もうと思った。そこで 文系でも狙えそうな仕事は「医療事務」だと思い、大学内で医療事務の講座を受講。講座を受講して 医療事務の資格を1つ取得したが、今の仕事に活かされることはなかった。しかし この講座を勉強したことで、病院で算定される医療行為の点数の仕組みを学ぶことが出来たので、そこは良かったと思う。当時 自分のバイト代から講座代を払って学んだことなので尚更。

 

⚫︎アルバイト

アルバイト経験があるのは、主に大学内がほとんど。(大学のパソコン室、語学センター、図書館、オープンキャンパスの学生スタッフ) 

その他のアルバイトは 単発だが、博多駅でのアンケート配り試験監督選挙のアルバイト *4 の経験あり。

 

所謂 大学生にありがちな、コンビニ・スーパー・飲食店・塾講師などのアルバイト経験は皆無。これらのアルバイトをしなかった理由は、学生時代の自分は 今より人見知りが酷く、電話や面接の段階で悉く断られていたから。それから こういう類のアルバイトは、土日が拘束されるものがほとんどで、土日は基本的にのんびりしたいと考えている自分にとっては不都合でもあった。

 

⚫︎社会人

⚫︎病院事務職員

2014年 地元の総合病院に、事務職員として入職。所謂 医療事務としてではなく「医師事務作業補助者」と言って、医師の事務作業を代行する仕事に3年8ヶ月従事。初任給は約7万円 (手取り) だったので、家族にご馳走など振る舞える訳もなく、業務を覚えることが優先だったので、仕事用のテキスト代に消えた。メイン業務は、診断書作成・問診を取る・検査案内・研究データ入力・学会および出張書類作成といったところ。医療機関に入職式などある訳もなく、入職1日目より現場に配属されて実務をこなすことに。(医療機関では当たり前) 

 

最初の半年間は循環器内科 *5 に配属。総合病院の外来業務の多さに圧倒される。同時に 慣れない職場環境で体調を崩しがちになる。

 

⚫︎技術系派遣社員

2017年12月 3年8ヶ月勤務した総合病院を退職→技術系派遣会社の社員として、製造業の管理部門で勤務。

*1:Super Science High School の略。2007年当時 社会問題の1つであった「中高生の理数系離れ」を解消する目的で立ち上げられた、文科省発のプロジェクトの様なもの。このプロジェクトに選ばれた理数科のある高校は、理系希望の高校生をターゲットに、文科省から貰った多額の資金で、大学の講義を聴く、大学の研究室に入って活動する、数学オリンピックに出る…等、理数系の課外活動を行うことができる。

*2:前年度の成績が優秀な学生に、文系学部相当の授業料である約60万円 (在学当時) が支給される制度。要するに 授業料免除の特待生の制度。

*3:不採用通知メールの意味で、就活ワードの1つ。末尾に「◯◯様の益々のご活躍をお祈り申し上げます。」の定型文がつくことから、この名前がついた。

*4:2013年に行われた衆院選の補助業務

*5:高血圧、心疾患、睡眠時無呼吸症候群 (SAS) などに罹患した患者を専門的に診る診療科。